元大阪府警捜査一課の特殊斑班長、鷹取裕文さん。 しかし、「大同門」で犯人を取り逃がしたのは特殊斑だと責め立てていた上級幹部は、この意見を聞き入れなかったそうです。 警察が嫌疑をかけて事情聴取していた関西のある農場を運営する人物, など、犯人の素顔に迫る内容が濃縮されています。 19分のれへんかったら 35分や 前氏が車のナンバーを確認すると、その車はまさに前氏が追跡したあの車でした。 森永乳業は せいかと ちがう 大阪府警からは「名神高速道路から50メートル以内に入るな」と指示されていましたが、滋賀県警の上司から「現金を乗せた車を守れ」と指令が出たそうです。 たのしみに まっとれや 死なへんけど にゅう院 する 現場にいた捜査員は5人で、ふたりの男を尾行することは不可能だったそうです。 かしやったら なんとゆうても 森永やで 翌朝からマスコミ関係者の間で蜂の巣を突いたような騒ぎになったが、捜査はもどかしいほど進展しなかった。次第に滋賀と大阪との間に温度差が生じ、この筋は尻すぼみになっていく。キツネ目の男と目されていた男も行方が分からず、重要な手掛かりが消えた。, 約2ヵ月後、一斉聴取が実現しなかったことから「性急だった本紙報道」という見出しの記事を書くことになった。加藤氏が知る限り、警察が最後まで潰し切れなかった筋は2つしかない。そのうち、より有力なのがこのグループという。, 「十分な検証を欠いた私のミス。無念やったけど、自分の責任でやったことやから仕方がない」。加藤氏が出した「進退伺」は、その後も滋賀県警による捜査が続いたため、社会部長席の引き出しの中に眠ることになる。, 会社員の御多分に漏れず、新聞記者にも異動がつきものだ。加藤氏も府警一課担の後に遊軍や府警キャップ、社会部デスクなどと所属や役職を変えたが、完全時効までの16年間、社の看板を背負って「グリ森」を追い続けた。「デスクになっても週に何度かは夜討ちに出掛け、電話でも取材した。これは読売の方針でなく、自分の判断。抜かれたら社を去るという緊張感がずっとあった」, 実際、2000年の完全時効まで辞表を持ち歩いた。08年に定年を迎え、11年には嘱託の編集委員からも退いた。読売新聞という巨大な組織から離れて5年。67歳になった加藤氏は、今も取材を続けている。, 「会社の車が使えないから、電車で夜回りをしている。京都、兵庫、奈良も含め近畿一円。近くは自転車で昼回り。最後まで事件にタッチしていた捜査員を中心に、自宅にお邪魔したり、最寄駅の居酒屋で酒杯を交わしたり。今やから話せることもある。保秘捜査の影響で事実関係が歪になってたけど、それが精査、濾過されつつある。年に何度か『グリ森』関係の捜査員らの集まりがあって、意見交換をしているから情報が更新される」, 「あの事件は何だったのか。あいつらは誰だったのか。そればっかり考えてる。青春を返してくれですよ」と笑う一方で、, 「ただ、犯人は出てこんやろね。自分らがしょうもない連中やと知ってるから。虚像のままにしといた方がええと思ってるはず。下っ端が金に困って、という可能性はあるけど。そら、生涯を懸けた事件やから真相は知りたい。でも『こんなくだらん奴やったんか』という失望は勘弁願いたい」, と複雑な胸中を明かす。
大阪方面へ向かうとの警察の予想は外れ、犯人は滋賀方面へと指示してきたのです。, 松田さんが大津サービスエリアに到着すると、不審な男を見かけます。 「他にも、具体的な場所は言われへんけど、わしらの想定が当たってた場所があったんでっせ。でもそこに捜査員を配備することはなかったですわ」(鷹取氏談) もうひとりは岡田さんたちと同じ車両の後方に座り、大きなアンテナのついた無線をいじっていたといいます。 鷹取さんが予想したとおりの場所です。 グリコ森永事件・歴史に埋もれた"スクープ" 塩田 武士 ... 加藤氏が出した「進退伺」は、その後も滋賀県警による捜査が続いたため、社会部長席� 「先行班」として犯人の先を行く任務の岡田さんたちは、現金を持った捜査員の隣の車両に乗り込みます。, 予想が的中したかのように、電車内で不審な動きをする者が現れます。 この取材で初めて判明した出来事など、ずしりと読み応えのある一冊。, グリコは なまいき やから 初めてその絵を見た大野さんは、「おー、似てる似てる。元刑事のおれがいうのも何やけど、似顔絵はあまりあてにしてないんだが、これはよう似とるわ」と感心しました。, その後、インタビューを許諾した大野さんは、取材班とともに大津サービスエリアの現場を訪れます。 今江さんは「滋賀県警はミスした覚えは一つもないんです」と語ります。, 報道で「取り逃がし」と言われ続けたことは滋賀県警の屈辱でした。 大津サービスエリアでもやはり不審な行動をしていたというキツネ目の男は、すぐに大野さんの目に留まりました。 むしばに ならへんよって お子たちえ こおたりや 前者はおもに現場で動く元捜査員、後者はおもに指揮を取っていた幹部クラスの回答です。 グリコ森永事件の犯人像とは? グリコ森永事件では、実に多くの犯人像が予想されました。中でも有力視されたのが次の説です。 ①暴力団組織 . うしろから 2つめの 京都え むかって ひだりがわの ○印の とこに すわるんや(略) 犯人の指示した席から離れた場所に座れば、犯人が現金持参人を探して動き回るかもしれないとの考えでした。 事件からおよそ9ヵ月後の昭和60年8月7日、滋賀県警察本部長の山本昌二さんが退職したその日に官舎で焼身自殺を図ります。 これまでの報道では、この現場では大阪府警が「他府県警は手を出すな」と指示し、大阪府警特殊班のみが捜査にあたっていたとされていました。 あんぜん やで, 報道されたこの怪文書を見て、青酸がからい味だということが強烈に心に刻まれました。 しかし、線路下に捜査員を配置しないまま現金を投下すれば、ただ現金を取られるだけで終わってしまうと考えた捜査員はかばんを投げ出さず、そのまま電車に乗って京都駅まで移動します。 それらは「テスト」だったと元捜査員は語ります。 公衆電話で受話器を耳に当てたまま、案内板をじっと見ている男。 グリコの せい品に せいさんソーダ いれた その後、地下通路へ向かった男を追って捜査員も移動しましたが、そこで見失ってしまいます。, 江崎グリコを発端として丸大食品、森永製菓へと脅迫のターゲットを変えていた犯人グループは、ハウス食品に狙いを定めます。 国鉄高槻駅から電車に乗るよう指示しました。, 国てつタカツキ駅に はいれ はかた から 東京までの 店に 20こ おいてある 犯人に違いないと誰もが固唾を飲みましたが、しかしカローラに乗り込んだ男性客は一般人でした。 指令を受けた今江さんは後輩の運転する車で名神高速道路を走っていました。 一般人男性が犯人に奪われた車は翌日、取り逃がした赤信号からわずか300メートルの神社参道に乗り捨てられていました。 本部長の自殺の原因は不明ですが、捜査員たちに大きな衝撃を与えました。 翌朝の新聞では「グリコ・森永事件の大失態により自殺」といった報道がされ、それについて今江さんは「とんでもないこと」と憤ります。 取材班はこれまで公開されていなかったキツネ目の男の似顔絵を持参し、それを大野さんに見てもらいます。 また、マスコミから警察の動きが漏れることを恐れ、マスコミには嘘の情報を流すということまでしていました。 この男は神足駅(こうたりえき、現在の長岡京駅)あたりで降りて、入れ替わるようにキツネ目の男が乗ってきたと岡田さんは述懐します。 このことを「滋賀県警が犯人グループを取り逃がした」とマスコミに叩かれますが、パトロールしていた警察官は事件について一切知らされていなかったため、その不審車が犯人グループだった可能性などは想像だに及ばなかったはずです。 この姿を最後に、キツネ目の男「F」は消えてしまいます。 そしてこの日を最後に、犯人グループは動きを止め、犯人逮捕のチャンスを永遠に失ったのでした。, 「キツネ目の男」になぜ職務質問しなかったのかという批判は、大阪府警にいっせいに浴びせられました。 ⑤怨 … 個人的には、犯人グループが電話で使用した「音声テープ」の声紋を最新機器で再検証した結果にとても驚きました。 犯人グループがグリコ側に用意するよう指定した「白のカローラ」に現金を積み、大同門前で待機していると、店に男性客が入り、その後カローラに乗り込みました。 現場を過ぎて淀川にかかる橋を越え、左折したところに怪しい動きの車を確認した前氏は後を追いましたが、大型の国道にぶつかる交差点で赤信号ギリギリのタイミングで逃げられてしまいます。 わしらが ゆうたとおり それが「キツネ目の男」でした。
その人とは元滋賀県警捜査一課の今江明弘さん。 21面相は社会の海に潜ったままだ。法的な時効は過ぎても、社会的には時効はない。悪のパフォーマンス。劇場型犯罪は後を絶たない。グリコ・森永事件は元凶である。事件は多くの課題を残した。それらは警察だけでなく、企業や報道、そして市民一人ひとりが負わなければならない。 現金持参人の警護役として先頭車両に乗っていた松田さんも目撃しています。 その場ではキツネ目の男を尾行すると決め、すべての捜査員がキツネ目の男を追いましたが、無線の男がその後どうしたのかは不明となりました。, 犯人グループの指示どおり山崎駅と神足駅の間には白い旗がありました。 そのあとも ぎょうさん よおい してるで グリコ森永事件 警察への挑戦状からの虐め体質考察 新春けいさつかるたあ あほあほとゆわれてためいきおまわりさんい いいわけはまかしといてと1課長う うろうろと… この事実も、この取材で初めて明らかになりました。 NHK取材班はひとりの元捜査員を紹介され、会いに行きます。 遺書はあったそうですが、その内容は明らかにされていません。 当時の大阪府警刑事部長、鈴木邦芳氏は「あんなにマスコミに対して嘘をついた事件はない」と語っています。, 徹底して被疑者確保に臨んだ「大同門」のその日。 30余年の時を経たいま、多角的視点から事件を改めて解体し、さらに最新機器を使って物的証拠を再確認することで、当時は判明しなかった新事実や数々の反省点などが浮かび上がってきました。, 犯人グループが初めて現金の受け渡し場所に現れたのは、摂津市にあった焼肉店「大同門」でした。 「ずっとそわそわしていて、とにかく落ち着かない男だった。誰が見てもあやしい、おかしい動きをずっと繰り返していた」と元捜査員が語るとおり、男はその場所で異様なほど目立っていたようです。, 報道では「キツネ目の男」にスポットが当たっていましたが、このとき、同じ電車内にはほかにも不審な男がふたりいました。 事件によって直接死亡した被害者や、現金を奪取されたという被害は起きていませんが、このように多数の人々を不幸に引きずり落とし、心に消えない影を刻み込みました。, 最新機器による分析でわかった音声テープの「本当の声の主」 しかし、今回の取材で初めて判明した事実が明かされます。 「あの状況ではやむを得ない」 これだけの目撃情報がありながら、しかし滋賀県警は「あれだけ大阪府警の捜査員が現地にいるんだから、彼らが一網打尽にするために追尾していくんだろうというふうに思ってましたから、一切手を出せていないんです」 わしらが とくべつに あじ つけたった 元大阪府警本部長・四方修氏の番組内容への「反論」 そしてその後輩にあたる捜査員が、大津サービスエリアに張り込み、キツネ目の男を目撃していたのです。, 取材班の記者は今江さんに頼み込んで、キツネ目の男を見たという後輩捜査員の連絡先を教えてもらい、電話でアポイントメントを取り付けます。 滋賀県警山本昌二本部長が辞任直後に本部長公舎で焼身自殺する。 ハウス食品に1億円を要求した事件の時、同県警のパトカーが犯人1人を取り逃がした心労からとされている。 時系列に戻る ※19 8/12 各新聞社に最後の挑戦状が届く. 「現金持参人が動くとそれに合わせて動くんですから。壁伝いに忍者みたいにする動作なんか見ると、おかしいですわ」(岡田氏談), 高槻駅に戻った現金持参人と同じ電車に乗り込み、持参人が改札の外へ出るのを見たキツネ目の男は、京都行きのホームへ戻りました。 結局、キツネ目の男を尾行した捜査員は高速道路上で姿を見失ってしまいます。 2011年秋に「NHKスペシャル」として放送された特別番組を作るにあたり、NHKスペシャル取材班が本事件の元捜査員300人以上に取材した膨大な記録を一冊にまとめた貴重な記録集。, 日本一有名な似顔絵「キツネ目の男」とわずか2メートルほどの距離に居合わせた捜査員、明らかに不審な動きの男を職務質問せずに取り逃がした理由とは。, 100以上の物証がありながら犯人にたどり着けなかったのはなぜか、また、物証を調べ尽くすことの難しさ。, 犯人にもっとも近づいた瞬間、焼肉店「大同門」で繰り広げられた追跡を証言によって再現。, 〈京都へ向かって 一号線を2キロ バス停城南宮のベンチの腰掛けの裏〉 グリコ森永事件・歴史に埋もれた"スクープ" 塩田 武士 ... 加藤氏が出した「進退伺」は、その後も滋賀県警による捜査が続いたため、社会部長席� 大野さんはすぐに上司へ無線連絡し、職務質問すべきか指示を仰ぎますが、答えはNOでした。 かしが うまいで 〈バス停城南宮のベンチの腰掛けの裏〉 テープに録音した、子供の声でした。 このとき無線のやりとりを聞いて状況を察し、受け渡しの現場へ向かったのは元大阪府警捜査一課、前和博氏。 元滋賀県警の今江さんは、大津サービスエリアの指示書により次は草津パーキングエリアのベンチの裏を見ろという指示が出ていたことを無線で聞きます。, 「私の捜査員が現地で見ているんですよ。それを貼っている男を。チューリップ型の帽子を被っていたとか言っていたかな」, 草津パーキングエリアでベンチ裏になにかを貼っている男を目撃した。 8じ19分の 京都ゆき かく駅てい車に のれ ④組織的犯罪グループ . これまでいくつもの受け渡し場所を指定しながら現場には来なかった犯人グループ。 これまで「大人の女性と小学生くらいの男の子」の声とされていたものが、30年余の時を経て別の人物像が浮かび上がってきたことには非常に興味をひかれるとともに、時効がなければもっと新しい事実が出てきたのではないかという思いを拭い去れません。, 関わったすべての人が、生涯消えない闇を抱えることになった事件。 いったん改札を出て高槻駅までの乗車券を購入し、ふたたび駅構内へ戻ります。 近づくと不審車両は猛スピードで逃走しました。 おとぼけで愛嬌のあるようなイメージを世間に刷り込ませた「かい人21面相」ですが、この文書を見て子供心に強い不快感、恐怖に似た感情を持ちました。, 物証が多く、犯人グループの一員と思われる人物との接触もあり、早期解決と思われていただけに、その後未解決として時効を迎えることになるとは誰も予想しませんでした。 「レストラン・さと」を最初に指定場所として伝えてきた犯人グループを「次に指定するのはバス停城南宮」と読んだ鷹取さんは、捜査会議の場で発言しました。 当日の20時20分、ハウス食品工業北大阪出張所に犯人からの電話が入ります。 キツネ目の男の動きを追っていた大野さんはそこでついに、男が犯人グループの一員だと確信する動きを目撃します。 「やむを得ない」と語る理由は、「職質して『なにも知りません、関係ありません』と言われたらそれで終わり。職質したことで犯人グループに警察の動きを知らせてしまうことになる。確実に犯人だとわからない以上、職質はありえない」といったものでした。 「異様でした。時代劇とかドラマで尾行する際に見るような、壁際に身を寄せて相手にわからないような形をとる動きですね。(中略)何かね、冗談みたいな感じやったですね」(松田氏談) グリコをたべて びょう院え いこう, 30代ならわずかに記憶されている方もいるでしょうか。 今江さんの発言はこれまでの定説を覆すものであり、今回の取材で明らかになった新事実です。 という意見と バス停城南宮で犯人が次の指示書を貼り出している瞬間をおさえられれば現行犯逮捕となったかもしれないという話を聞き、NHK取材班の記者は当時の体制に強い不満をおぼえます。, 犯人グループがハウス食品宛に脅迫状を送りつけ、「京都市ふしみ区下鳥羽のこくどう1号せんのレストラン さと ふしみ店」を指定してきたのは11月7日。 ここでも、キツネ目の男を目の前にしながら、警察はなにもできませんでした。, キツネ目の男のほかに、じつは草津パーキングエリアでも不審な男が目撃されていました。 江崎家の住民票を謄写申請していた謎の人物 さらにキツネ目の男は別の捜査員が追尾することとなり、松田さんは納得のいかない思いを強く抱きます。 赤信号の一瞬のタイミングで逃げられてしまったのです。 一般公開された「スーツ姿でメガネをかけ、正面から描かれた」有名なあの絵とは違う、大津サービスエリアで大阪府警の捜査員が目撃した証言によって作成されたものでした。 青さん0.2グラムと 0.5グラムの 2しゅるい ある このことについてNHK取材班がたずねると、二通りの回答が得られました。 ②元・北朝鮮工作員 . 草津パーキングエリアで次の指示を出した犯人グループも、その後の接触が途絶えました。 江崎社長に着せられたオーバーと満州の謎 現金を持った捜査員は脅迫状の指示には従わず、先頭車両に乗り込みました。 その動きの一部始終を、キツネ目の男はあきらかに不審な動きで追いかけていました。 0.05グラム いれたのを 2こ グリコ・森永事件が発生したのは1984年(昭和59年) そのとき私はまだ生まれていませんでした。 だから「罪の声」を読んでも どこまでが実話でどこからが創作なのか いまいちわからなかったんですよね。. 7日午後5時40分、大津市松本1-9の滋賀県警官舎の庭先で3通の遺書を残し、 【山本昌二 前:県警本部長】が頭から灯油をかぶって焼身自殺しているのを妻(60)が発見した。 山本はグリコ森永事件の犯人の1人が昭和59年11月14日夜、名神高速に1 元捜査員の大野三佐雄さんは、取材班を自宅へ招き取材に応じました。 この日のために捜査一課では「特殊斑」を組み、様々なケースを想定して訓練を行いました。 〈大津の サービスエリヤ の 身障者用の ちゅう車場の ○印の ところで とまれ〉 また、当時は「一斉検挙」を絶対視していたため、個の人間に対するアクションを控えていたということもあったようです。, 本文でも言われるように「たられば」で語ることはできませんが、それでも、もしも「キツネ目の男」に声をかけていたら、その先はどんな展開があったのだろうと想像を止めることはできません。, 丸大食品脅迫での現金受け渡し現場はすべて大阪府警が取り仕切り、他府県警の連携はありませんでした。 からくちの かし どくいりと かいた 紙 はっている グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。 大勢の元捜査員が取材で語っていましたが、「もっと大阪府警と滋賀県警とが連携を取れていれば」と悔やまれる、あまりにも残念な出来事でした。, さらにこの現場では、のちに広く非難される「滋賀県警の取り逃がし」が起きていました。 ③産廃業者 . 私がよくおぼえている挑戦状はこれです。, 全国の おかあちゃん え 「罪の声」の読書感想文でも触れていますが、同級生に江崎くんというお金持ちの子がいたので「江崎くんちってグリコ?」という意味不明な質問をしていました(小学生は江崎グリコの本社が大阪なんて知らない)。, 上記でも引用しましたが、犯人グループは多数の脅迫文や挑戦状を送りつけていました。 40代以上の日本人ならおそらく知らない人はいないであろう、犯罪史上もっとも注目を集めた未解決事件、『グリコ・森永事件』。, 私は当時小学生でした。 そうと知らない警察は男性を拘束し、職務質問を繰り返しますが、警察と男性の話がまったくかみ合いません。 大阪府警は高速道路を逃走ルートと予想したり、盗聴防止のため当時珍しかったデジタル無線を配備したりと、できるかぎりの体制を敷きました。 7日午後5時40分、大津市松本1-9の滋賀県警官舎の庭先で3通の遺書を残し、 【山本昌二 前:県警本部長】が頭から灯油をかぶって焼身自殺しているのを妻(60)が発見した。 山本はグリコ森永事件の犯人の1人が昭和59年11月14日夜、名神高速に1 その後、ホームから階段を降りて公衆電話へ向かい、本部へ連絡。 もやもやしたので、読み終わった直後に「グリコ・森永事件」で検索をかけました。 その日、現場付近をパトロールしていた警察官が不審車両を発見。 「滋賀県警はもう一切手をだしたらあかんと。内緒で、万が一のために出ているんだから」 そして、もう一つの可能性。犯行に利用された「テープの子どもたち」だ。, 「出てくる可能性はゼロやない。今でも捜査員、もしくは記者仲間と話すとき、最後は『あの子どもはどうしてるんやろな』という話題になる。青酸菓子のばら撒きも含め、子どもを巻き込んだことを忘れたらあかん」, これは何かの冗談ですか? たった「2時間半」で命にかかわる重要法案が通ってしまう「この国の現実」.