ウラディミール・ラモン・バレンティン(Wladimir Ramon Balentien, 1984年7月2日 - )は、オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。, 2011年 - 2013年にかけてセ・リーグ史上2人目となる3年連続本塁打王獲得[2]。また、2013年にNPBのシーズン最多本塁打記録(60本)、シーズン最高長打率記録(.779)を樹立し、その記録保持者。, 初めて野球をしたのは5歳の頃で[3]、12歳で地元のリトルリーグのチームに入った。, 2000年7月9日に、16歳でメジャーリーグ・ベースボールのシアトル・マリナーズと契約[4]。, 2001年はルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズに所属し、打率.206、本塁打0本、打点9に終わる[5]。, 2004年シーズン途中にアテネオリンピックの野球オランダ代表に選出された。シーズンではA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズで76試合に出場し、打率.277、15本塁打、46打点、10盗塁を記録した。8月にA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズ(英語版)へ昇格し、10試合に出場した。, 2005年は昨年同様にA+級インランド・エンパイアでプレーし、自身初となるシーズン20本塁打以上となる25本塁打を記録した[5]。, 2007年はマイナーリーグのオールスターゲームに相当するオールスター・フューチャーズゲームに2年連続出場。その時点で打率.328、20本塁打、66打点と好成績を残した。9月4日にメジャー初昇格を果し、同日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。8回に代打で打席に立ち左中間へ二塁打を放つ。9月26日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャー初の本塁打を記録した[5]。僅か3試合の出場に終わるも、打率.667、1本塁打、4打点、出塁率.500と結果を残した。, 2008年は開幕をマイナーリーグで迎えたが、ブラッド・ウィルカーソンやグレッグ・ノートンらのDFAに伴い4月30日にメジャー昇格。71試合で打率.202、7本塁打、24打点、出塁率.250を記録するも、79三振と出場試合数より多い三振数を喫した。, 2009年は56試合に出場するも打率.213、4本塁打、13打点、出塁率.271にとどまり、7月25日にマイケル・ソーンダースの昇格に伴ってDFAとなり、ウェイバー公示された。, 2009年7月29日にロバート・マニエル(英語版)とのトレードでシンシナティ・レッズに移籍した[6]。10月2日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦が、ヤクルト入団前としては最後のメジャーリーグ出場試合となったが、この時に放った推定飛距離151メートルの本塁打は「メジャーでは二度と出ない」とも言われた[5]。2球団を渡り歩き、96試合の出場で打率.234、7本塁打、24打点、出塁率.305を記録した。, 2010年は傘下のAAA級ルイビル・バッツで116試合に出場し、打率.282、25本塁打、78打点、12盗塁だった。オフの11月6日にマイナーリーグFAとなった。, 2010年11月18日に肩の強さと状況に応じられるチームバッティングが評価され(後述)、東京ヤクルトスワローズと2年契約(3年目は球団オプション)合意発表[7]。FA権取得まで球団の許可なく日本国内の他球団への移籍を禁じる項目が盛り込まれていた[8]。, 2011年開幕戦の読売ジャイアンツ戦(宇部市野球場)で「6番・右翼手」で先発初出場し、初打席は三振に倒れるが、7回の第3打席で初安打となる左越二塁打を放った[9]。5月13日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では1試合3本塁打を記録し[10]、5月は7本塁打でリーグトップタイ、長打率、出塁率でリーグトップの成績を挙げるなどの活躍で月間MVPを初受賞した[11]。前半戦はリーグトップの19本塁打を放ち、オールスターゲームにはセ・リーグ外野手部門のファン投票・選手間投票共にチームメイトの青木宣親に次ぐ第2位で選出された。6月以降は低打率に苦しみ本塁打のペースも落ちたものの、セ・リーグでは唯一の30本台である31本塁打で本塁打王を獲得した。前述の他に76打点、出塁率.314を記録するも、打率.228、三振131は規定打席到達者の中でワースト記録だった。規定打席到達者中、打率最下位の本塁打王は日本プロ野球史上3人目であった。, 2012年シーズン前半は開幕当初から打撃好調で6月16日まで打率部門でトップだったものの、後半に入ると極度の打撃不振に陥り、7月以降の打率は2割を割り込んだ。7月28日の試合で張りを訴え8月1日に検査の結果、右臀部の肉離れと診断され[12]、翌日登録抹消となった[13]。2年連続でオールスターゲームにも選出された。最終的に106試合の出場で打率.272、31本塁打、81打点、出塁率.386を記録し、球団初となる2年連続、さらに2リーグ制後初となる規定打席未到達での本塁打王を獲得した[14]。また、打点と出塁率は共にリーグ2位となった。オフにはチームメイトのラスティングス・ミレッジを1票差で上回り、自身初となるベストナインにも選出された[15]。12月15日に翌年の球団オプションが行使され、さらに2014年からの3年総額750万ドル+出来高での契約を結んだ[16]。, 2013年シーズン開幕前の3月に開催された第3回WBCのオランダ代表に選出された[17][18]。キューバ戦で負傷し途中退場となり[19]、その後左内転筋肉離れと診断された[20]。, シーズンの開幕戦は二軍で迎えた。シーズン初出場は13試合目の4月12日の巨人戦で[21]、復帰から2戦続けて4打数0安打に終わり[5]、今季初本塁打は復帰から4試合目の4月16日の中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)で2打席連続で右越本塁打を放った[22]。この時点で本塁打トップのトニ・ブランコとは6本差をつけられ、その後も最大で10本差をつけられていたが[3]、この後バレンティンがハイペースで追い上げることになった[21]。6月は打撃部門で月間三冠の活躍で3年連続で3度目の月間MVPを受賞した[21]。6月8日の北海道日本ハムファイターズ戦から、同月12日の福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)にかけて2四球を挟んで、日本プロ野球タイ記録の「4打数連続本塁打」を記録した[23]。ブランコと1本差で迎えた6月27日の対DeNA戦でブランコが1本塁打、バレンティンが2本塁打で、共に25号本塁打でバレンティンが今季初めてトップに並び[3]、7月2日の対DeNA戦でバレンティンが今季初めて単独トップとなると、以降のセ・リーグの本塁打数はバレンティンの独走状態となり[5]、7月13日に30号本塁打をリーグ一番乗りをした頃より日本記録である55号越えが現実味を帯びてくるようになった[3]。オールスターゲームでは選手間投票で選ばれ3年連続出場した[24]。8月は月間本塁打の日本プロ野球新記録を樹立するなど本塁打を量産した。8月4日の広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)で球団最速記録[25]の通算100本塁打[26]。8月22日の巨人戦(明治神宮野球場)で球団シーズン本塁打新記録の45号本塁打を記録[27]。8月23日の広島戦(明治神宮野球場)で47号本塁打で自身初の100打点と[28]、球団タイ記録の月間13本塁打を記録した[29]。8月27日の中日戦(明治神宮野球場)で2本塁打を記録しシーズン50号本塁打を達成した[注 1]。シーズン111試合目での50号本塁打は日本プロ野球史上最速、同時に門田博光に日本プロ野球タイ記録の月間16本塁打とした[30]。翌28日の同戦で日本プロ野球新記録の月間17本塁打[31]。8月は月間18本塁打の新記録と合わせて打率、打点でリーグ三冠の成績を挙げ、通算4度目の月間MVPを村田修一と同時受賞した[32]。9月は日本プロ野球、およびアジア野球のシーズン本塁打新記録を達成した。相手チームから勝負を避けられる敬遠や、厳しい内角攻めに遭うようになり[33]、50号本塁打以降の6試合で2敬遠を含む10四球を記録した[3]。9月8日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で7試合、28打席ぶりとなる53号本塁打を放ち[34]、続く9月10日の広島戦(明治神宮野球場)で54号本塁打を放ち日本プロ野球記録に王手をかけた[35]。9月11日の同戦の6回裏に大竹寛から日本プロ野球シーズン本塁打タイ記録で史上4人目となる55号本塁打を放った。シーズン122試合目での達成は史上最速であった[36]。この後の3試合は本塁打が出なかったが、9月15日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)において、1回裏の第1打席に榎田大樹から日本プロ野球シーズン本塁打新記録となる56号本塁打を左中間へ放った[注 2]。続く3回裏の第2打席で榎田から左翼へアジア新記録の[注 3]57号本塁打を放った[37]。10月4日の阪神戦(明治神宮野球場)でランディ・メッセンジャーから60号本塁打を放ち、日本プロ野球史上初のシーズン本塁打60本台とした[38]。最終戦までブランコとの打撃タイトル三冠争いとなったものの、僅かに逆転の可能性が残っていた[39]10月8日のシーズン最終戦の巨人戦(東京ドーム)では満塁の場面で四球を選び1打点を挙げるが、3回の守備から交代してシーズンを終えた。130試合で打率.330、60本塁打、131打点、出塁率.455を記録し、本塁打王と最高出塁率の二冠を獲得したが[40]、首位打者は3厘差、打点王は5点差でブランコが獲得し、バレンティンはいずれも2位に終わった[41]。また、シーズン長打率を.779として、ランディ・バースを抜いて日本プロ野球史上最高を記録[42]、2年連続のベストナインと[43]、初のMVPを受賞した。シーズン最下位球団からの受賞は史上初となった[44]。, 2014年は6月までにリーグ2位の18本塁打を記録していたものの、6月14日に持病のアキレス腱痛の悪化で一軍登録を抹消された[45]。その後二軍で調整を続けていたが、7月11日のイースタン・リーグのDeNA戦で実戦復帰した[46]。7月13日のDeNA戦(明治神宮野球場)で一軍に復帰した[47]。オールスターゲームでは3度目のファン投票選出で4年連続選出となった[48]。なお選手間投票ではセ・リーグトップの431票を獲得した[49]。オールスターゲームでは第2戦(阪神甲子園球場)で、大谷翔平から160キロの球を中前安打するなど2安打を記録した[50]。8月21日の巨人戦(明治神宮野球場)で史上4位のスピード記録となる463試合目で通算150本塁打を達成し[51]、9月7日の巨人戦(明治神宮球場)で来日1年目からの4年連続30本塁打に到達した[52]。シーズン終盤になり、ブラッド・エルドレッドと本塁打王争いをしていたが、左アキレス腱の検査の為、球団にシーズン途中での帰国を要求した[53]。規定打席に到達した9月21日がこのシーズン最後の出場試合となり、31本塁打で4年連続の本塁打王にはなれなかった[54]。その後、23日に帰国し[55]、10月1日にアメリカ国内の病院で左膝の手術が行われた[56]。怪我の影響もあり112試合の出場で、打率.301、リーグ2位となる31本塁打、69打点、出塁率.419を記録し、2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得した。, 2015年4月24日に一軍初昇格しスタメン出場を果たしたものの、5回の守備で負傷。翌25日に左大腿直筋の肉離れと診断され、出場登録を抹消された[57]。その後アメリカに帰国するなど、予定より離脱が長期化するも、優勝争いが佳境となった9月18日の巨人戦から戦列に復帰し、いきなりホームランを放つと、翌19日は3安打の活躍を見せた。その後は連続打席無安打を続けるなど調整不足を露呈したが、チームは優勝を果たし初めて優勝を経験することとなった。しかし、このシーズンは僅か15試合の出場で、打率.186、1本塁打、6打点、出塁率.327と、来日以降記録していたシーズン30本塁打以上が4年連続で途切れた。オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手36名に選出され[58]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に選出された[59]。, 2016年は7月8の中日戦(明治神宮野球場)でジョーダン・ノルベルトから左腕上部に死球を受けた際、激昂してジョーダンに向かってヘルメットを投げつけた[60]。乱闘には至らなかったが、危険行為と見なされ退場処分となった[61]。2年ぶり5度目となるオールスターゲームにも選出され、第1戦(ヤフオクドーム)に東北楽天ゴールデンイーグルスの則本昂大からソロ本塁打を放った[62]。9月18日の中日戦(明治神宮野球場)で又吉克樹からソロ本塁打を放ち、日米通算200本塁打を達成した[63]。132試合に出場し、打率.269、共にリーグ4位となる31本塁打、96打点を挙げ、出塁率.369を記録した。, 2017年開幕前の1月31日に第4回WBCのオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした[64]。メジャーリーガーもいる中で四番打者を任され[注 4]、3月12日の日本戦では石川歩から一時同点となる本塁打を記録した。3月15日のキューバ戦では1試合2本塁打を記録し、コールド勝ちに貢献した[65]。結果、決勝トーナメント進出(ベスト4)に大きく貢献し、2次ラウンド全6試合で打率.591、3本塁打、10打点、出塁率.654を記録し、E組MVPを受賞した[66][67]。3月20日の準決勝プエルトリコ戦では初回に一時先制となる本塁打を記録し、延長10回にはエドウィン・ディアスからビーンボールを投じられ激昂し、乱闘になりかけた[68]。これについて試合後に「わざとだとは思わなかったけど、みんな感情的になっていた。必死にプレーしていればああいうことはある」、またメジャー復帰について尋ねられると「メジャーでもう一度やれるといつも思っている」とコメントした[69]。大会を通して7試合に出場し、打率.615、4本塁打、12打点の大会打撃三冠王を記録し[70]、3月22日にオランダ代表選手では唯一となる大会最優秀外野手となった[71][72]。, シーズンでは開幕から「4番・左翼手」で出場。4月4日の阪神戦(京セラドーム大阪)で3回に藤浪晋太郎からシーズン初本塁打を記録したが、5回に畠山和洋への死球を巡って乱闘となった際に阪神バッテリーコーチの矢野燿大を突き飛ばし、矢野と共に退場処分となった[73]。また、5月24日の広島戦(マツダスタジアム)で空振り三振した際に球審に呟いた言葉が暴言行為と見なされ、このシーズン2度目となる退場処分を受けた[74]。更に、9月30日の中日戦(明治神宮野球場)で見逃し三振した際、球審への抗議として打席に立ち尽くすも抗議は叶わず、去り際にホームベースに土をかけた行為が侮辱行為と見なされ、シーズン3度目となる退場処分を受けた[75]。しかし、8月20日の広島戦(マツダスタジアム)で前日の山田哲人に続く2日連続の満塁本塁打を放ち[76]、9月2日の同じく広島戦(明治神宮野球場)ではファウルゾーンから三塁ランナーを刺す強肩を見せつけ[77]、攻守で活躍を見せた。このシーズンは125試合に出場し、打率.254、アレックス・ゲレーロに1歩及ばずもリーグ2位となる32本塁打、80打点、出塁率.358を記録した。, 2018年はそれまで見られがちであった故障や精神面のムラがなくなったため好調を維持した[78]。2年ぶり6度目となるオールスターゲームに選出され、ホームランダービーにも出場。柳田悠岐、鈴木誠也らを下し、決勝では筒香嘉智と競うも惜しくも1本差で届かなかった[79]。9月4日の時点で33本塁打、113打点の打撃二冠だったが[80]、ネフタリ・ソトが9・10月で14本塁打を放ち[81]、自身初となる打撃二冠とはいかなかった。それでも142試合に出場し、打率.268、リーグ3位となる38本塁打、出塁率.370、そしてリーグトップとなる131打点を挙げ、自身初となる打点王のタイトルを獲得し、チームのリーグ2位に大きく貢献した。2度のシーズン130打点到達は藤村富美男以来、史上二人目の快挙となった。また、4年ぶりの盗塁もマークし、出場試合数が来日1年目以来となる140試合以上(142試合)に出場し、来日初となる600打席(602打席)と500打数(514打数)以上を記録した。, 2019年4月25日の巨人戦(明治神宮野球場)で菅野智之から青木宣親、山田哲人、バレンティンで「3者連続本塁打」を記録した[82]。1ヶ月後の5月26日の中日戦(明治神宮野球場)では清水達也から同じ3人で再び「3者連続本塁打」を記録し、セ・リーグ史上初の「同一シーズンに同じ3人で2度の3者連続本塁打」を達成した[83]。前者は平成最後の、後者は令和初の「3者連続本塁打」となった[84]。5月にはコンディション不良の為[85]、6月から7月にかけては夫人の出産に立ち会う為に登録を抹消されたが[86]、9月6日の巨人戦(明治神宮野球場)で高橋優貴から日米通算300本目となる30号本塁打を放った[87]。最終的には120試合に出場し33本塁打、93打点、出塁率.363を記録した。また、1992年のジャック・ハウエル、古田敦也、池山隆寛以来である「シーズン30発トリオ」をクリーンナップの山田、村上宗隆と共に達成し、実に27年ぶりの快挙となった[88]。シーズンオフにFA権を取得したが、行使することなく12月2日に自由契約公示された[89]。, 2019年12月16日、福岡ソフトバンクホークスに入団することが決定し、公式ホームページでその旨が発表された[90]。年俸は2年総額10億円で、背番号はヤクルト時代と同じ「4」。, 広角に長打を放つことのできる並外れたパワーが持ち味だが変化球に弱く[91]、メジャーでは三振率25.7パーセントを喫するなど確実性に欠けていた[92]。, 足と守備は平均的だが[92]、外野3ポジションを守ることができ、マリナーズ時代にはイチローとチーム1、2を争うといわれたほどの強肩が持ち味[93]。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 - ヤクルト・五十嵐の引退会見で花束贈呈に登場したつば九郎が爆笑トークを展開した。 日本球界でFA権を取得した外国人選手はバレンティンを含めて10人。翌年は日本人扱いとなるため、同じ球団に残留しても補強したに等しいが、意外に活躍していない選手が多い。, 台湾出身の郭泰源は1985年に西武に入団し、6度の2桁勝利をマークするなど通算117勝を挙げる活躍。1996年に外国人選手として初めてFA権を取得したが、故障もあって、翌1997年は1勝も挙げられずに引退した。
ソフトバンクのウラディミール・バレンティンがアルフレド・デスパイネと入れ替わりで登録抹消された。2013年に日本記録の60本塁打を放つなど、ヤクルトで通算288本塁打をマークした大砲も、移籍1年目の今季は47試合出場で打率.196、9本塁打と不振。新型コロナの影響で来日が遅れていたデスパイネがようやく合流したことから、8月21日に登録抹消され、2軍で再調整することになった。
ウラディミール・ラモン・バレンティン(Wladimir Ramon Balentien, 1984年7月2日 - )は、オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 ©Copyright2020 てぬきインフォ.All Rights Reserved. 元スレ. 台湾出身の許銘傑(2011年から登録名はミンチェ)は2000年に西武入団。主に中継ぎとして活躍し、2011年にFA権を取得すると、同年オフに外国人選手として初めてFA宣言した。オリックスに移籍した翌2012年は37試合に登板し、0勝3敗1セーブ10ホールド。2013年は1試合の登板に終わり、退団となった。
知っているよ、プロレスラーだろ」と答えている[107]。, 応援歌は同じオランダ領アンティル・キュラソー島出身のヘンスリー・ミューレン(その後高橋智にも使用された)のものが使用されている。なお、二人は故郷では近所同士で、互いに面識がある[105]。また2013年、2017年のWBCでは監督と選手の関係になった。, 元チームメイトのラスティングス・ミレッジとは大の仲良しで、お互いに尊敬しプレーに刺激を与える関係となっている[108]。他球団の選手では、シアトル・マリナーズ時代のチームメイトであった横浜DeNAベイスターズのホセ・ロペスやオリックス・バファローズのアダム・ジョーンズと仲が良い[109]。, またヤクルトスワローズのマスコット、つば九郎とも仲が良く、ブログにも度々登場する。, キュラソー名物のイグアナ食が大の好物。日本ではイグアナを食べる文化が存在しないため、バレンティン曰く、食感が似ているフライドチキンも好物である。首脳陣から試合中のプレーの件で説教を受けている際にもフライドチキンを口にしたことがあり、球団がフライドチキン禁止を検討した程だという[110]。豚骨ラーメンも好物であり、バレンティンは神宮球場の試合が終わると『伝丸 青山店』に向かう常連客である。ただ2017年6月時点では、体重を気にして食す回数が減ったという[111]。, 2013年オフにはキリンビールの新ジャンル「澄みきり」のCMに出演した[112][113]。, シーズン60本塁打の日本新記録を達成する前にシーズン本塁打記録(55本)を持っていた王貞治を非常にリスペクトしており、ソフトバンクへの移籍時に球団会長であった王貞治と一緒のチームで野球ができることを喜んでいた。週刊ベースボールのインタビューで「2013年はシーズン60本塁打をマークして、王さんの55本を超えることができたんだけど、そのときに、よりリスペクトしたよ。(自分が記録を更新してみて)難しさを実感したからね」と述べている[114]。, 2019年5月25日の中日戦での山田の盗塁時にフォロースルーが大野捕手に直撃した際には、送球妨害を取られている。, Reds acquire Balentien from Mariners Cincinnati ships reliever Manuel to Seattle in deal, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/05/kiji/K20110705001147820.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/14/kiji/K20110514000816340.html, http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121216-1060279.html, Kingdom of the Netherlands at the 2013 World Baseball Classic, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/12/kiji/K20130612005998310.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/04/kiji/K20130804006356770.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/22/kiji/K20130822006467830.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/24/kiji/K20130824006474030.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/27/kiji/K20130827006497000.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/28/kiji/K20130828006503890.html, http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130906-1185064.html, http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131121-1221293.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/11/26/kiji/K20131126007088720.html, Bernadina en Jones in selectie voor Premier 12, Definitieve selectie Kingdom of the Netherlands voor de Premier12, バレンティン選手がソロホームラン!マツダオールスターゲーム2016第1戦(ヤフオクドーム), Homerun King Balentien en All-Star Jurrjens naar WBC, Wladimir Balentien in All-Tournament Team, Yadi, Balentien among All-Classic Team standouts, ヤクルト・バレ、8月2本目のグランドスラム「切れるかと思ったけど入ってくれて良かった」, ヤクルト“30発トリオ”完成 バレ4年連続30号 バット折れてもバックスクリーンへ, http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110502-769506.html, https://full-count.jp/2016/08/29/post43828/, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/05/kiji/20170405s00001173136000c.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/24/kiji/20170524s00001173241000c.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/09/30/kiji/20170930s00001173358000c.html, http://web.archive.org/web/20130915055157/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/06/kiji/K20110906001563450.html, http://web.archive.org/web/20120720061639/http://www.sanspo.com/baseball/news/120129/bsf1201290504001-n2.htm, ズズッとすするエルドレッド(広島)。マックオンリーの偏食・クルーンらに見る「助っ人選手と日本食」, ソフトバンク・W.バレンティン インタビュー 勝ちへの渇望 「ホームランは魅力的で特別」, 2011 Japan Central League Batting Leaders, 2012 Japan Central League Batting Leaders, 2013 Japan Central League Batting Leaders, 2014 Japan Central League Batting Leaders, 2015 Japan Central League Batting Leaders, 2016 Japan Central League Batting Leaders, 2017 Japan Central League Batting Leaders, 2018 Japan Central League Batting Leaders, 2019 Japan Central League Batting Leaders, ヤクルト・バレンティン、250本塁打到達 在籍8年目、史上3位のスピード達成 - スポニチ Sponichi Annex 野球, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ウラディミール・バレンティン&oldid=79893856, 150本塁打:2014年8月21日、対読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)、6回裏に, 250本塁打:2018年8月26日、対横浜DeNAベイスターズ19回戦(明治神宮野球場)、3回裏に, シーズン50本塁打:2013年8月27日、対中日ドラゴンズ19回戦(明治神宮野球場)、7回裏に, シーズン60本塁打:2013年10月4日、対阪神タイガース24回戦(明治神宮野球場)、6回裏に, 200本塁打:2016年9月18日、対中日ドラゴンズ最終戦(明治神宮野球場)、8回裏に, 300本塁打:2019年9月6日、対読売ジャイアンツ21回戦(明治神宮野球場)、1回裏に. FA権を取得し、晴れて「日本人」となった選手が活躍できないのは、来日して長期間プレーしてきた勤続疲労や年齢的な衰えもあるだろう。来日当初のハングリー精神が薄れてくることもあるかも知れない。
タフィ・ローズは1996年から近鉄に加入し、2001年に王貞治に並ぶ55本塁打の日本タイ記録(当時)をマークしてリーグ優勝に貢献。巨人に移籍した2004年にFA権を取得し、同年は45本塁打で両リーグで通算4度目のキングに輝いた。しかし、翌2005年は27本塁打に終わり、同年オフに巨人を退団した。, アレックス・ラミレス(現DeNA監督)は2001年にヤクルトに入団し、巨人に移籍した2008年にFA権を取得。翌2009年は31本塁打、103打点、打率.322で初の首位打者と186安打で3度目の最多安打のタイトルを獲得。さらに2010年には49本塁打、129打点で2冠王に輝くなど、日本人扱いとなってからも成績を落とさなかった数少ない外国人選手の一人だった。
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