記録を作るためだけに登録しているようにみえなくもないですけど。。 阪急ブレーブスに在籍したことがある唯一の現役選手。, 阪急・オリックス(87-99)→西武(98-02)→横浜→(03)日ハム(04-)と移籍を繰り返してきた選手です。, 中嶋は強肩で有名だったそう。 2015年12月13日現在、戦力外通告を受けて来季の所属が決まっていない日本人選手は111人。今年は山本昌投手を筆頭に、多くのビッグネームがラストシーズンを迎えた特別な一年でもありました。40歳以上の選手は14人を数え、過去10年では古田敦也、佐々岡真司、吉井理人など8人が引退した2007年を上回ります。, 若くしてプロ野球界を去る選手も多く、25歳以下で来季の契約が決まっていない選手は16名となっています。2008年にドラフト1位で入団した赤川克紀(前ヤクルト)、2011年の横浜ドラフト1位の北方悠誠(前ソフトバンク)の名もこのリストに含まれています。, 過去10年間の引退選手のデータによると、プロ野球選手の平均在籍期間は8.9年(外国人選手、MLB移籍選手を除く)。この数字をどう感じるかは意見の分かれそうなところですが、総務省統計局の資料によるとタクシー運転手(9.3年)、調理師(9.0年)、プログラマー(7.9年)などが平均勤続年数の面で比較的近しい業種となっているようです。ちなみに当該資料に記載されている主要業種49種に当てはめてみると、プロ野球選手の8.9年は41番目の長さに当たります。, プロ野球選手としてプレーできる年数は平均すると8.9年ですが、最も多く引退を迎える年数は4年目の87人となります。これは育成選手を含めて集計していることが影響していて、87人のうち26人が育成ドラフトによる指名入団者でした。ただし、育成選手を除いた集計でも最多となるのは5年目の選手(69人)で、プレー年数が大きく変わる訳ではありません。通常ドラフトでも育成ドラフトでも、4~5年目にプロ野球選手としてひとつの節目を迎えるとみなすことができます。, グラフの右端に位置する在籍32年は、もちろん山本昌。平均的な選手の3倍以上の長いプロ野球人生を送りました。最後の阪急戦士として知られた中嶋聡(29年)、プロ野球新記録の3021試合達成を引退の手土産とした谷繁元信(27年)なども、大変な長寿だったことがよく分かります。, プロ野球選手とひとくくりに言っても、さまざまな選手がいます。ここでは長くプロ野球生活を続けている選手の特徴を探るために、「入団時ポジション」、「入団時年齢」、「ドラフト指名順位」の3つのカテゴリを設けて数字を比較しました。, 平均して最も長くプロ野球を続けているポジションが捕手でした。ポジション柄育成に時間を要するため、捕手は長い目で見てもらいやすい側面があるのかもしれません。また、瞬発力を要する動きが比較的少なく、コミュニケーション能力等の非運動系の能力を重視されることなども捕手の長寿の要因になっていると考えられます。内野手もトップの捕手に迫る数字を残しています。これは内野手でプロ入りした選手は運動能力が高く、他のポジションへの転向の余地があることが影響しているとみられます。, 入団時の年齢も重要です。20歳以下の若い選手は育成期間も長く、平均で10.2年の在籍年数となりました。社会人野球や独立リーグから入団する24歳以上の選手は平均6.9年と短く、即戦力として結果を残せないとプロ生活の終わりはすぐにやってきます。主に大学からの入団に当たる21~23歳はちょうど両者の間くらいに位置していて、このあたりは理解のしやすいところです。, 指名時の順位でも大きく変わりました。上位の1~2位指名の選手は11.9年と非常に長く、6位以下の4年以上も長くプロ生活を過ごしています。やはり上位指名の選手はチームの期待値が高く、そして実際に活躍する確率も相対的に高いことから、このようにはっきりと数字に表れていることが推測できます。, 最も長くプレーできる選手の条件は「入団時に捕手」、「20歳以下」、「指名順位1~2位」。過去10年の引退選手でこれに当てはまる選手は8人いて、平均在籍年数は16.0年でした。, 入団に際しての諸条件は重要ですが、プロとして長くプレーできるかどうかは入団前から決定している訳ではありません。プロとして長期間在籍しているということは、つまりチームから次のシーズンも戦力として期待を受けている、という事実の積み重ねです。この期待は基本的に一軍における実績によって生まれ、一軍で結果を残すことによってのみこの期待に報いることができます。, 4年目、5年目の選手の引退が多いという事実が示す通り、入団後の一定期間の内に結果を残せないと、プロとしての生活を続けられません。上に示した表は野手(試合数)と投手(投球回)、それぞれ5年目までの出場実績と在籍年数の関係をプロットしています。, データはいずれも正の相関を示しています。野手の相関係数が0.56、投手の値が0.54なので強力な相関とまでは言い切れませんが、おおむね若いうちに出場実績を積むほどプロ生活が延びています。5年目まで一軍でほとんどプレーしていないにもかかわらず大成した選手もゼロではありませんが、統計的に見てそうした選手は稀であることは間違いありません。, 長くプレーしている選手は、5年目までにどれくらい一軍でプレーしているものなのでしょうか。在籍年数10年以上の選手を対象に、入団時の年齢別に出場実績の平均値を算出しました。, 20歳以下の高卒クラスの選手は投手、野手とも1年目の出場は非常に少なく、5年目にかけてゆっくりと数字を伸ばしている様は共通しています。傾向が異なるのは24歳以上の社会人クラスの選手で、野手は1年目でも50試合未満の平均値に留まる一方、投手は1年目から平均75イニング以上と即戦力として機能している様が見てとれます。裏を返せば社会人クラスの投手で長いプロ生活を送ろうとするならば、1年目から結果を残せないと難しいと言えます。21~23歳の大卒クラスは投手、野手ともに即戦力の社会人クラスに近い動きを見せています。, 10年以上在籍した選手による5年目までの平均通算実績は、野手で204試合、投手で243イニングでした。この10年間の引退選手のうち、この平均値を達成した野手の80%、投手は78%が10年以上プロ野球生活を送ることに成功しています。, 長いプロ野球人生を全うできるのは一握りの選手ですが、それを実現できた暁には大きな見返りが待っています。現役プロ野球選手の平均通算年俸は1年目の879万円からスタートし、6年目には1億を突破(1億895万円)。プロ野球選手の在籍年数の平均値にほど近い9年目を終えると、通算で3億の大台に乗ります(3億3,226万円)。15年目以上の大ベテランとなると平均で12億6,527万円に達しています。, 毎年100人近い選手が表舞台を去り、早ければ数年でプロとしての資格を失う過酷な競争社会。しかし才能と努力でこのレースを勝ち抜くことが出来れば、大きな成功もまた約束されています。. 平均身長 180.8cm
・プロ野球を引退後に進む道としては野球関係でなければ、営業マンや飲食店経営などの道へ進む選手が多いようです。 ・プロ野球選手の平均寿命は9年で、引退時の平均年齢は29歳と短い期間しかプロ野球選手には時間がないことがわかります。 平均年齢 在籍年数; 2007年: 96: 29.6 - 2008年: 93: 28.3 - 2009年: 90: 29.8 - 2010年: 103: 30.5: 9.9: 2011年: 101: 28.5: 8.3: 2012年: 101: 30.5: 9.9: 2013年: 101: 30.5: 9.9: 平 均: 98: 29.7: 9.5 選手数 914人(うち育成109人)
さて、皆さん、プロ野球選手の平均年齢ってどれくらいだと思いますか? 調べてみました。 最高齢は予測がつくと思いますが、中日の山本昌選手。現在49歳。今年50歳。 一番若いのは18歳ですね。 平均年齢は27.4歳 中央値も求めましたがさして変わらず27歳。 平均体重 84.2kg
中日 73人(6人)、181.0cm、84.7kg、26.9歳
このように引退年齢や引退理由は人それぞれですが、平均すると20代半ばから30代半ばだと言われています。 つまり、スポーツキャリアでいくら成功を収めたといっても、ほとんどの人が若いうちにそのキャリアから降りて、セカンドキャリアへと進む必要があるということです。 Copyright©
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平均年齢 26.3歳, NPBの支配下登録選手は、各球団70人、計840人が上限だ。今年の支配下選手は805人、空き枠はあと「35」ある。そして109人が支配下を外れた育成枠の選手で一軍の試合には出られない。ちなみに、昨年の同時点では選手数総計は905人(育成107人)。9人増加したことになる。, 昭和の時代、支配下登録選手は各球団60人、計720人が上限だった。育成枠もなかったので選手総数は700人前後だった。それから3割ほど選手数が増えているのだ。, ちなみに身長・体重・年齢が、今年の平均に一番近い選手は誰かというと……オリックスの投手、岩本輝。181cm/84kg、26歳だ。, 続いては各球団を見てみよう。選手数(うち育成選手数)、平均身長、平均体重、平均年齢の順に並べている。, 西武 72人(6人)、180.1cm、85.4kg、26.2歳
プロ野球選手に憧れる野球少年は多くいると思います。ですがプロ野球界の中で、長年最前線で活躍できる選手というのは本当に一握りです。, 野球のスペシャリストたちが集まるプロ野球ですから、その中で目立ちながら結果を出していくことは容易なことではなく、夢半ばで球団から契約を打ち切られる選手が多くいるのが現実です。, 今回はそんなプロ野球選手の平均寿命や、引退後の職業にはどのような道があるのかなどをまとめました。気になる方は是非チェックして下さいね。, 例えば最近の日本卓球界では、張本選手など10代前半の選手が世界トップの選手たちとも同等に戦っている姿もあり、凄いものだなと感じます。, プロ野球界でも高卒でプロ入りすれば、まだ10代ですから若くして凄いなあと感じる人も多くいることでしょう。, 意外に知らない人が多いのではないかと思いますが、プロ野球選手の平均選手寿命は9年です。引退時の平均年齢は約29歳というデータも出ています。, 長く続けられる一流のプレーヤーもいますが、怪我などもあり早期に引退を迎える選手などが多いからですね。, やはりプロ野球選手になるくらいの選手だった訳ですから、野球に関われる職業を望む方が多いようですが、全ての引退した選手が野球に関連した職に就けるわけではありません。, 全く違う道に進む選手も多く、営業マンや、今の時代では先生を目指すような選手も多いようですね。その他にも、現役時代の年俸などにもよりますが、飲食店を自ら始める道を選ぶ選手もいます。, 大学時代は捕手として強肩と強打を期待され2001年に自由獲得枠で阪神タイガースに入団されます。しかし当時の阪神は矢野捕手がいて正捕手の座を奪うことが出来ず悔しい想いで過ごしました。, 7年目からは打撃を生かすために外野手に転向しましたが、レギュラーの座を掴むまで至りませんでした。, その後2013年に戦力外通告を受け、トライアウトを受けるもどの球団からも声がかかることはなく現役を引退しています。, その後は2014年10月より大阪の中心地心斎橋でバーアザス(BAR AZAS')を経営しており、プロ野球選手なども立ち寄っているようです。, あの伝説の試合1998年横浜高校対PL学園の試合で田中選手はPL学園で2年生ながら出場していました。俊足、好打、攻守が売りでPL学園を勢いに乗せる打者でした。, 2007年から2008年まではアメリカの独立リーグでプレーし、帰国後日本プロ野球のトライアウトを受けるもどの球団にも拾われることなく引退しました。, 大阪の名門大阪桐蔭で夏の甲子園初出場初優勝をした時の中心選手で1991年にドラフト1位で阪神タイガースに指名されました。, 掛布2世と期待され背番号も31を与えられましたが、プロでは思うように活躍できず1998年位近鉄に移籍し2001年に現役を引退しました。, その後は柔道整復師の資格を取得し大阪府寝屋川市に「まこと整骨院」を開業しています。, ただ萩原さんに限らず、元々プロ野球選手ですから、ガッツと努力は並大抵のものではありません。どのジャンルにいってもプロ野球選手時代の姿勢があれば成功できるだろうなと思いますね。, ちなみに戦力外通告を受けた野球選手のその後の職業については、以下でもまとめていますので、興味のある方は合わせてチェックしてみて下さいね。, ・プロ野球を引退後に進む道としては野球関係でなければ、営業マンや飲食店経営などの道へ進む選手が多いようです。, ・プロ野球選手の平均寿命は9年で、引退時の平均年齢は29歳と短い期間しかプロ野球選手には時間がないことがわかります。, ・ドラフト1位で期待され入団したとしても結果が残せないと厳しい世界になります。プロ野球界では期待されながら入団した選手が、他の道へ進むことも少なくありません。. 投手としては菅野投手や菊池選手、育成枠から下剋上を果たした千賀選手やルーキーイヤーから活躍し続ける則本選手などがあげられます。, 一軍に定着し出した年齢から現在に至るまで、単年で怪我や不調で成績が低下する年はあったとしても、必ずタイトル争いに名を連ねる選手たちは20代前半から一軍に定着し、継続して活躍し続けているのがわかります。一軍定着後、選手としての脂が乗ってくるのが28歳前後になってくるのでしょうね。, もちろん、大卒、高卒などのプロ野球入りする年齢も多少なり影響はあるかもしれませんが。, また、日本人メジャーリーガーで忘れてはいけないのは大谷翔平選手です。彼は入団した18歳から一軍定着を果たし24歳である今シーズン、MLBにおいてMVPを受賞するほどの活躍を見せています。, 二刀流から始まり数々の記録や記憶を塗り替え続ける彼のピークが一体どこになるのか、それは彼が引退する時にしか分からないことなのかもしれません。, 参考 https://baseball.yahoo.co.jp/npb/stats/, 先述した、打者の攻撃力であるOSPと投手の守備力を表すFIPから打者と投手ではピークの年齢に大きく違いはありませんが、ピーク後の下降に関しては僅かながら差が出てきます。, NPBの最年長選手は名実ともに野球界を長く牽引して来た元中日・山本昌選手の50歳1ヶ月。, MLBまで広げるとなんと59歳までプレーしたサチェル・ペイジという選手の名前があがってきます。, 日本人として年長選手の代表格は現マリナーズのイチロー選手(45歳)です。 2020.10.26 【プロ野球】ドラフト会議直前!12球団が獲得すべき選手とは? 2020.10.26 野球選手に必要な筋線維のタイプと … NPB所属選手の報酬はメジャーリーグや欧州サッカーなどと同様に日本国内の他のプロスポーツと比べても破格である。支給は年俸制。2016年のNPBに所属するすべての支配下選手登録選手(育成選手をのぞく)の平均年俸は3,712万円である[3]。, 1980年代前半までは平均年俸は1000万円未満であったが[3]、1987年中日に移籍した落合博満が球界で初めて年俸1億円を突破する[4]など徐々に年俸は上昇し、1993年のFA制度が導入されると年俸の高騰が進んだ[5]。, 年俸が1億円を越える選手は「1億円プレーヤー」と呼ばれ、一流選手のステータスと見なされることもある[6]。NPBにおける年俸1億円以上の日本人選手(1億円プレイヤー)は、2014年シーズンでは61人[7][注釈 3]であったが、2017年シーズンでは76人[8]へと増加している。, NPB所属選手は契約更改という形で毎年契約を更新する単年契約が一般的であったが、1993年オフに当時オリックスに在籍していた酒井勉が、3年という日本球界史上初の複数年契約を結んだ[注釈 4]。その後、FA宣言による他球団移籍が一般的になり、FAによる移籍、あるいは他球団流出防止のための残留のいずれでも(日本人選手、外国人選手を問わず)複数年契約を結ぶケースが増えるようになった。一例として、, プロ野球選手の報酬は各選手の活躍に応じて大きく変動し、成果主義の典型的なモデルとみなされることもある[12]。報酬の支払いについて定期昇給や賞与の制度は定められていないが、成績に応じた出来高払いの契約を結んでいる選手もいる。ただし年俸の減額に関しては野球協約92条で制限が設けられており、年俸1億円以上の選手の場合40パーセント、1億円未満の選手の場合25パーセントを超える減額は原則行われない(減額制限以上の減俸を行う場合は戦力外通告と同じ期間内に選手の同意を得る必要があり、選手が同意しなかった場合は球団はやはり当該選手を自由契約としなければならない)[13]。, プロスポーツ選手全般に言えることだが、プロ野球選手が現役でいられる期間はそう長くない。プロ野球選手の平均引退年齢は約29歳とされており[14][15]、40歳を迎える前に引退する選手がほとんどである。また選手の平均現役年数は約9年であり[14][16]、長くても20年前後である。, 一方例外的に長期にわたって現役を続ける選手(フランチャイズ・プレイヤー、ジャーニーマン)もおり、現役最長在籍記録は山本昌の32年、一軍公式戦出場実働最長記録は工藤公康・中嶋聡・山本昌の29年である。ちなみに、2015年10月7日時点で、選手として公式戦に出場した年齢では、最年長記録は山本昌の50歳1か月、最年少記録は戦前(年少労働者保護規定なし)が西沢道夫の16歳。労働基準法・児童福祉法下における最年少記録は高校を中退してプロ入りした古沢憲司の16歳4か月である。, 引退後は、監督やコーチなどの指導者、スカウト、スコアラー、打撃投手、ブルペン捕手、球団職員などとして球界に残ったり、野球解説者となることが考えられる。, しかし、毎年発生する引退選手に対して野球関連のポストは限りがあるために、野球関連の仕事に就けない者も多数出るため、野球とは別の分野に就職することになる選手も多い。NPBが2007年から2014年に退団した選手への調査を行ったところ、平均して2割から3割程度の選手が野球関係以外の道を選んでおり、進路不明の者も相当数存在する[17][注釈 6]。野球関連ではない仕事で成功した例としては、親会社のはからいで映画俳優になった八名信夫や板東英二、宮本和知、パンチ佐藤、長嶋一茂、金村義明、岩本勉のようにそのキャラクターを活かしてタレントとして定着した者、江本孟紀、三沢淳、高橋栄一郎、石井浩郎のように政治家になった者、他のスポーツに転向して活躍した尾崎将司(プロゴルファー)、ジャイアント馬場(プロレスラー)、宮本孝雄(競輪選手)、龍隆行(プロボウラー)が挙げられる。また、玉葱農家として成功した河野博文、うどん製造の修行をしてうどん店を開業した條辺剛[18]のように実業家として成功する例もある。, しかし、こういった成功例がある一方、現役引退後思うような生活が送れない元選手が自殺したり[注釈 7]、犯罪に関わったりする事例もある[注釈 8]。, 里崎智也は、「プロ野球選手は球団関係者などが身の回りのことを何でもしてくれる」ということ、「生活力の無い選手ほど身の回りのことをやってくれる年上の女性と結婚して益々野球しかしない人間になる」ということを語っており、それこそ「引退したら何もできない」元選手が相当数存在することを指摘している[19]。, こうしたことから、プロ野球OBが自助努力として再就職をお互いに支援していこうという気運が高まりつつある。例として、日本プロ野球OBクラブはパソナと連携したプロ野球OBの就活支援活動を行っている[20]。また、NPB側でも2010年代からは選手のセカンドキャリアに対する支援を強化している。2013年には日本野球機構と日本学生野球協会との合意により、学生野球資格回復研修を受けることによってプロ野球OBによる高校・大学野球の指導が可能となった[21]ことで、セカンドキャリアの間口が広くなったと言える。2016年までに、850人以上がこの制度を利用して学生野球資格を回復している[22]。, NPBは2007年以来毎年若手プロ野球選手に対してセカンドキャリアに関する意識調査を行っているが、「引退後に不安を感じている」と答えた選手の割合は概ね7割程度を推移している[23]。また、引退後の希望進路については、高校野球の指導者と回答する選手が多数を占めている[23]。, アメリカ合衆国・カナダのメジャーリーグベースボール(MLB)を、日本では英語でMLBの選手を意味する「メジャーリーガー(Major Leaguer)」といった言葉をそのままカタカナ語として用いて呼称することがある。, メジャーリーグは、その強い競争原理から日本のプロ野球より厳しい環境であるとされ、成績が伴わなければ契約が更新されず直ちに自由契約、シーズン途中でマイナーリーグに降格、故障で成績が上がらない間にトレードで代わりの選手が入れば戦力外通告など、選手は常に厳しい立場に立たされる[24]。また、マイナーリーグとメジャーリーグには選手の待遇に大きな差があることも特徴で、両者の給料の格差を指してマイナーリーグを「ハンバーガー・リーグ」、メジャーリーグを「ステーキ・リーグ」と呼ぶ事もある[25]。, ただし、選手にとって厳しい面ばかりではなく、長年に渡って好成績を残し続けたり、非凡な才能を評価されたりと球団にとって必要不可欠な選手と見なされた場合には、年俸は天井知らずとなり[注釈 9]、そのようなスター選手の移籍に伴う獲得合戦の際には数億ドル(数百億円)という大金が動くなど、「アメリカン・ドリーム」とも言うべき成功を収めることができる[26]。アレックス・ロドリゲスは2007年10月にニューヨーク・ヤンキースと10年総額2億7500万ドル、出来高も含めると3億ドルの大型契約を結んだ他、ジャンカルロ・スタントンは2014年オフにマイアミ・マーリンズとの間に総額3億2500万ドル+出来高の13年契約という北米プロスポーツ史上最高総額の超大型契約を結んでいる[27][28]。選手側も少しでも良い条件を引き出すために、球団と契約交渉を行うための代理人(エージェント)を置くことがある。, それまでオリンピックを含む国際野球連盟(IBAF:現世界野球ソフトボール連盟(WBSC))管轄の国際大会はアマチュアのみの出場であったが、他競技でのプロ解禁の流れを受けて1997年にIBAFはそれらの国際大会へのプロ出場を解禁することになった。, 最初に適用された大会は翌1998年の第33回IBAFワールドカップ。同年のアジア競技大会では韓国がオールプロで編成して初の金メダルを獲得。2000年シドニーオリンピックは初めてプロ野球選手が参加するオリンピック大会となり、米国が正式種目となって初めて金メダルを獲得した(公開競技時代には1988年ソウルオリンピックで金メダルを獲っているが、キューバのボイコットによる不参加が大きかった)。, 日本が初めてプロを派遣したのは1999年のアジア野球選手権大会兼シドニーオリンピックアジア地区最終予選で、この時はプロアマ混合で挑んだ。初のオールプロで編成して出場した大会は2003年のアジア野球選手権大会兼アテネオリンピックアジア地区最終予選であり、8年ぶりとなる優勝を決めている。これ以降オリンピック及びその予選会についてはオールプロで出場しているが、それ以外の国際大会(IBAFワールドカップ、アジア競技大会など)は開催時期に合わせてプロアマ混合またはオールアマで出場している。, しかし、これらの大会にはメジャーリーガー(40人ロースター枠登録選手)は参加しておらず、米国の場合は3Aクラスの選手で構成されている(ただし米国以外ではシーズンと重ならない大会に限りロースターも含めて招集する場合がある。前出の1998年アジア競技大会の韓国代表には当時ロサンゼルス・ドジャース所属だった朴賛浩が含まれていた)。背景にはこれらの国際大会の多くがMLBシーズン中(それも8月以降のプレーオフ争いも佳境に入った時期)に開かれるためシーズンを中断するか各球団が主力を欠いて消化しなければならず、また、大会において負傷した際の補償など課題も多いため各球団並びに選手会が消極的なのがある。この問題はオリンピック競技からの野球除外に至った要因のひとつともされている。, 2006年からはメジャーリーガーも含めたプロ選手が参加するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が行われており、米国を始め、ドミニカ共和国などはメジャーリーガーのみでナショナルチームを結成した上で参戦している他、日本や韓国、ベネズエラなどメジャーリーガー擁する国も国内などの選手を加えたオールプロチームとなっている。この大会はIBAFの協力も受けつつMLB機構が中心となり、(MLBなど北半球主要プロ野球リーグの)シーズン開幕前に開かれている。, 2011年にWBCがIBAF公認の世界一決定戦となったのに伴い、アマチュア主体たるワールドカップを発展的解消した上で、WBCの中間年にプロ主体たるプレミア12が創設された。このプレミア12の第1回大会は2015年11月に開かれたが、ワールドシリーズ終了直後という開催時期の問題からMLBは40人ロースターに登録された選手の参加を認めなかった。そのため、MLB選手会による40人ロースター枠発表後に行われた11月21日の決勝戦において、米国代表は3名の選手がこのロースター枠に入ったため出場できず、さらに試合も韓国に0-8で敗れてしまった。, またこの調査対象には独立リーグなどで現役を続行する選手も含まれているため、引退者に占める割合はより高いと考えられる。, 千葉ロッテマリーンズファンクラブ会報「Team26マガジン」2010年第2号「ビジター遠征虎の巻」より, 元巨人軍の剛腕が“闘魂こめて”打つ本格うどん!『讃岐うどん 條辺(じょうべ)』店主 條辺剛さん【男の野球メシ#01】, 【年俸よりも大事なことを交渉している!