細田 守(ほそだ ... 『明日のナージャ』の演出を引き受けた理由は26話をやりたかったため。その26話では原画も兼任しているが、実際は担当シーンだけではなくレイアウト修正と背景の作画を半分以上 … 細田 守(ほそだ まもる、1967年9月19日 - )は、富山県中新川郡上市町出身のアニメ監督、アニメーター。2005年からフリー。金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科油絵専攻卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。, 父親は鉄道職員。二人兄弟の弟。子供の頃は吃音があり、小学校1、2年は特別支援学級に通っていた[1]。中学の時に劇場版『銀河鉄道999』や『ルパン三世 カリオストロの城』に衝撃を受けた。この時、劇場パンフレットに載っていた絵コンテを見てアニメーションの世界に強く惹かれた。当時、テレビ番組『YOU』の自主制作アニメ特集を見て、自分と同じ学生がアニメを作っていることを知り、中学3年の時にコピー用紙1000枚ほど用意して、飛行機がドンパチする約1分のアニメーションを製作し(全2コマ撮りのアニメ、当時の『アニメージュ』などを見て制作方法を知ったという[2])、学内上映した。, 高校1年のとき、東映動画制作の角川映画『少年ケニヤ』(1984年、大林宣彦監督)公開のアニメーター公募を知り、上記の自主制作アニメを応募して合格、上京を薦められるが学校の試験があったので断念[3]。, 大学時代は、現代美術や映画などの実写映像に強い興味を持ち、映画サークルで実写映画を50本以上製作した。これら実写映画の大半はビデオアートで、舞踏のパフォーマンスをエフェクターで処理したインスタレーション作品など。映画の形になっているのは2本のみで、フィルムフィスティバルに出しているが落選している。, 大学卒業後、スタジオジブリの研修生採用試験を受けて最終選考に残るが、不採用となった。大学三年のとき「大林宣彦ピアノリサイタル」を企画し[3]、『少年ケニヤ』で声をかけてもらった田宮武プロデューサーに大林の連絡先を聞こうと上京したら、田宮に就職相談と勘違いされ[3]、「オレは東映動画にもサンライズにも日本アニメーションにも顔が利くから、どこでも入れてあげるよ。キミはどこがいいの?」と言われたため「じゃあ、やっぱり東映かな」と答え[3]、これが縁で1991年に東映動画(後の東映アニメーションにアニメーターとして入社した[3]。大林のピアノリサイタルの件は立ち消えになった[3]。山下高明に師事し[3]、動画を経てOVA『Crying フリーマン5 戦場の鬼子母神』で初の原画、アニメ映画『Coo 遠い海から来たクー』で作画監督補佐を担当する。, 1995年、金子伸吾の紹介で『十二戦支 爆烈エトレンジャー』第27話Aパートの絵コンテを担当する。1996年に『るろうに剣心』の絵コンテを遡玉洩穂名義で担当する。どちらも東映外での仕事だったが、当時の細田は、アニメーターとしての専属契約をしていたので例外的に認められた。同年、東映社内で、演出採用試験が初めて実施され、これに合格。1997年の『ゲゲゲの鬼太郎』(第4期)で演出家として本格的にデビューした[4]。また同年、父親が急病で亡くなる[5]。, 1999年には『劇場版デジモンアドベンチャー』の監督に抜擢される[3]。続けてテレビシリーズ『デジモンアドベンチャー』の第21話を演出。2000年には『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督して、そのクオリティの高さから業界の内外より注目を集めた。この頃、演出家として影響を受けた人物として、山内重保、幾原邦彦、古橋一浩らの名を挙げている。, 2000年8月、東映アニメーションよりスタジオジブリに出向し、『ハウルの動く城』の監督として作業に取り組む。2001年に母親が脳梗塞で倒れる[6]。絵コンテはCパートまで完成したが、製作は行き詰まり2002年4月に中止が決定、ジブリを離れることになる。また、他方では「ジブリとの意見の衝突、スケジュールの延期、スタッフの拘束と様々な難事が勃発してしまい、結果的に『ハウルの動く城』の監督から外された」ともされる[7]。, 東映復帰後第一作の『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第40話「どれみと魔女をやめた魔女」は、2006年8月20日にアニマックスにて放送された特別企画『東映アニメ36時間連続放送』内で視聴者投票のベストエピソードに選出された。, 2003年に村上隆に請われてルイ・ヴィトンの店頭プロモーション用アニメ『SUPERFLAT MONOGRAM』を監督。『明日のナージャ』で各話演出のほかOPとEDの演出を手がける。2005年、東映での最後の作品となる劇場版『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』を監督。, 2005年、東映アニメーションを退社してフリーになる[3]。マッドハウスを製作基盤として、2006年7月、角川ヘラルド映画の劇場アニメ『時をかける少女』を監督。ロングランヒットとなり興行収入2.6億円を記録。国内外で高く評価された。, 2009年次回作『サマーウォーズ』を製作中の7月に母親が死去[8]。半年後に祖母を亡くす。同年8月、『サマーウォーズ』を公開。またも高い評価と興行収入16.5億円のヒットを記録した。, 2011年4月、自身のアニメーション映画制作会社スタジオ地図を設立(代表取締役は齋藤優一郎)。同年、新作劇場作品『おおかみこどもの雨と雪』を発表[9]、2012年7月に公開された。公開前の同年6月、自ら執筆した同作品の原作小説で、小説家としてデビューした。映画は観客動員約340万人、興行収入42億円を挙げ、2012年の年間興行収入ランキング第6位の大ヒットとなった。, 2015年7月11日、『バケモノの子』(企画・制作 スタジオ地図)を公開[10]。2012年9月に長男が、2015年末に長女が誕生している[11]。, 2018年、『未来のミライ』を公開。カンヌ国際映画祭の監督週間で上映。国際的に評価され、ゴールデングローブ賞 アニメ映画賞にノミネート。アニー賞で長編インディペンデント作品賞を日本人初で受賞した。アカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされた。日本作品としては、スタジオジブリ以外では初となる。[12], 『NEWS ZERO特別版 宮崎あおい パリ〜北アルプス おおかみこどもを巡る旅』, 「手書きで表現 心のひだ――おおかみこどもの雨と雪 細田監督」『朝日新聞』2012年7月20日付夕刊、第3版、第3面。, 『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』パンフレットより。, “ジブリの好敵手になるか? 細田守監督、次回作の進捗報告 絵コンテ終了で「現場も本格的にフル回転してやっていく」 2020年10月19日 21時23分 (10月20日 00時06分更新) 明日のナージャ(キャラクターデザイン:中澤一登・一部脚本:細田守)というアニメを知っているだろうか? 当時、テレビ朝日の日曜日の朝8:30、プリキュアシリーズ枠で放映されていた、昔ながらの女児向け … 『明日のナージャ』(あしたのナージャ)は、2003年 2月2日から2004年 1月25日まで、朝日放送を制作局としてテレビ朝日系列(福井放送とテレビ宮崎を除く)で毎週日曜8:30 - 9:00(jst)に全50話が放送された、東映アニメーション制作の女児・少女向けアニメ。 細田守監督最新作『おおかみこどもの雨と雪』2012年7月公開決定”, http://www.oricon.co.jp/news/movie/2004667/, http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/02/kiji/K20160102011793000.html, “細田守監督、「時かけ」で高畑勲監督にダメ出しされ「クソ~ッ」と奮起したこと明かす”, https://hochi.news/articles/20190803-OHT1T50181.html, MovieWalker レポート 【文化庁メディア芸術祭アニメ部門シンポジウム】 リメーク映画の金字塔「時をかける少女」が大賞受賞 細田守監督が富野由悠季監督と公開“辛口”トーク, o:kun Talk 渡邉美樹とキーパーソンとの語らい 第2回:浜野保樹インタビュー, “日本アカデミー賞発表!『沈まぬ太陽』が作品賞含む3部門!最多は『劔岳 点の記』の6部門”, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=細田守&oldid=80116838, 基本的にカメラを振ること無く、同じカットを繰り返す「同ポジション」を多用するが、これは「カメラを振ると、, アフレコでは役者が別々に収録する事を嫌い、そのシーンに出演する役者全員を立ち合わせて収録する。, 基本的に青空があり、天候が感情の変化により現れているものだと分かるようになっている。, アニメ業界では、上記の通り東映の入社時に最初から演出業を志望していたがしばらくはアニメーターとしての日々だった。アニメーター時代は, 公共性獲得のため絵コンテは常にファミレスで描いていたが喫煙スペースで隔離されるようになって以降、おおかみこどもは自宅で, 結婚して彼女の実家に挨拶に行った際に親戚が急に倍に増えたという感覚が『サマーウォーズ』へ繋がっている, 絵本を自身の子供に読み聞かせていく中で動物が多く出てくることに気づき、子供の成長には動物が重要ではないかと「バケモノの子」は動物の顔をしたバケモノたちの世界にした, 山下高明はアニメーター時代の師匠であり、演出家に転身後も協力関係が続いている。『デジモンアドベンチャー』以降の作品で採用している登場人物の影を省略するスタイルは、山下の提案によるもの, 2005年 スクウェア・エニックス『スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団』, 2001年 『デジモンアドベンチャー02 ドラマCD 石田ヤマト 手紙-Letter-』, 2006年 『ディープ・イマジネーション―創造する遺伝子たち』(『ガラクタの町』のみ), 第26回国際アニメーション映画祭Anima2008 (ベルギーブルッセル)BeTV賞, 第14回モントリオール ファンタジア映画祭 最優秀アニメーション賞 観客部門:金賞, 第29回イマジン・フィルム・フェスティバル(アムステルダム) グランプリ(Black Tulip 2013), 『キネマ旬報』(2006年8月上旬号、キネマ旬報社) - 監督作『時をかける少女』に関するインタビュー記事。.